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冷蔵庫、洗濯機などの私たちの暮らしになくてはならない家電製品メーカーとして有名だった三洋電機。
サンヨーやSanyoと呼ばれ広く親しまれていた三洋電機がなぜ倒産?潰れた理由は?
正確には三洋電機は潰れたのではなく、2008年にパナソニックに買収され、子会社化しました。
それから10年以上経ちますが、元三洋電機社員の方々はその後どうなったのでしょう?
調べてみると、パナソニックに転籍したり、三洋電機の冷蔵庫部門などを買収した中国企業・ハイアールで活躍していたりと充実したキャリアを築いている方も多いようです。
また旧三洋電機は現在、ハイアール傘下のアクアという会社として旧三洋電機時代のような革新的な家電を世に送り出すことでも再び注目を浴びていると言います。
会社の倒産というテーマは、コロナで会社がなくなってしまう、仕事を失ってしまう人も多い今、気になる話題です。
この記事では電機メーカーでパナソニックグループの子会社である旧三洋電機がなくなった理由、社員の方々のその後、また旧三洋電機の現在や歴史についても、調べたことをまとめてお伝えしていきます。
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三洋電機は倒産したわけではない?なぜなくなったのか、理由は?
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あんなに有名で大きな会社だった三洋電機が倒産?なぜ潰れたの?
こう思う方も多いのではないでしょうか。
サンヨーの名で親しまれていた三洋電機は、実際は倒産したのではなく、パナソニックの子会社となりました。
三洋電機は、洗濯機を開発した後も石油ファンヒーターやその他の電気製品の開発に力を入れていました。
しかし1980年代〜2000年代に起こった暖房器具などの欠陥問題や、問題が起きたときの三洋電機側の対応に批判が集まったことなどにより、パナソニックの子会社化する方向へと進みました。
そして2011年にはパナソニックの完全子会社化することとなりました。
三洋電機がなくなった…社員のその後は?
三洋電機を傘下に置いているハイアールは、大容量冷凍庫などの家電で人気です↓
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三洋電機がパナソニックの完全子会社する流れの中で、三洋電機の元社員約10万人が職を失ったと言われています。
2015年4月1日付で親会社のパナソニックには、三洋電機にいた7000人、全ての社員がパナソニックに転籍となりました。
そのうち6600名はパナソニックの各部署に配置となり、三洋電機から出向する形となりました。
けれど、その時点では既に前述の10万人は三洋電機を退職していたということです。
その元社員たちはその後どうしているのでしょう?
一つの例として、ハイアールで働いている社員が多いということです。
ハイアールは中国の家電メーカーで、三洋電機の冷蔵庫と洗濯機事業を買収しました。
元三洋電機の社員たち約150人はハイアールで働いています。
ハイアールに転職した元三洋電機の社員たちは、製品開発をする中で世界中の洗剤メーカーと話す機会があったり、国が違うと選択のやり方が違って驚くことがあったりして、刺激的で楽しい仕事生活を送れている方も多いようです。
別の職場でも充実した日々を過ごしていることが分かります。
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三洋電機は現在どうなっているのか
現在、三洋電機の白物家電部門はハイアールのアクアとして、こちらのように人気の家電を生み出しています↓
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旧三洋電機はパナソニックの子会社化された他、今では白物家電部門は前述した中国企業ハイアールの傘下に置かれています。
三洋電機の白物家電部門は、ハイアール傘下のAQUA(アクア)という会社になりました。
アクアという名前は、旧三洋電機の家電ブランド名から名付けられました。
前述のアクアの人気の冷蔵庫は、アマゾンなどからも購入できます↓
アクアでは現在、旧三洋電機の売りでもあった革新的で他社にはない技術を搭載した家電が注目されています。
お米からパンを作る「ライスブレッドクッカー GOPAN」など、斬新なアイディアで人々の暮らしを豊かにしてきた三洋電機。
その気質が今後アクアでも発揮され、成功していくことに期待したいですね。
三洋電機の歴史
最後に三洋電機とはどんな会社なのか、創業されてから現在に至るまでの歴史や出来事を、簡単にまとめました。
・三洋電機の創業
三洋電機は三洋電機製作所として大阪府守口市に、松下電器産業の専務取締役を務めていた井植歳男さんが1947年創業しました。
そして、1950年4月に三洋電機株式会社として設立されました。
社名の三洋は太平洋・大西洋・インド洋のことを指し、世界で活躍できる企業の意味をもっています。
1953年に日本国内で初めてSW-53型の噴流式洗濯機を開発したことがきっかけで有名になりました。
・三洋電機の歴史
1947年 創業。
1950年 三洋電機株式会社設立。
1953年 白黒テレビ「17-C231」発売。
1959年 東京三洋電機株式会社設立
1960年 カラーテレビ第1号機「21-CT5」を発売。
1970年 日本万国博覧会にサンヨー館出展、未来の家庭生活を展示。
人間洗濯機(ウルトラソニックバス)が注目を集める。
1971年 日本で初めてのワイヤレスリモコン操作方式テレビ発売。
1985〜1986年 石油ファンヒーターのリコール・回収
1995年 世界で初めての3Dテレビを発売。
2008年 三洋電機ラグビー部が日本ラグビーフットボール選手権大会で初優勝
2011年 三洋電機のパナソニックの完全子会社化
2012年 パナソニック電工吸収合併を中心とした組織改編で
パナソニックグループ新体制発足
2015年2月2日 – 守口第一ビルを守口市へ売却、本店所在地が大東市に変更。
本社は大阪府大阪市中央区のTWIN21に移転。
同年4月1日 三洋電機社員がパナソニック、パナソニックグループ会社へ転籍。
三洋電機の法人格は維持
2016年(平成28年)8月上旬 「SANYO」ブランドがインド市場で8年ぶりに復活。
ネット通販で「SANYO」ブランドを、家電量販店では「Panasonic」ブランドを使い分けることになる。
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まとめ
Panasonicの子会社となった三洋電機についてお伝えしました。
遠いインドの地では、サンヨーブランドが復活し、パナソニックブランドにはない低価格帯を補うような形で奮闘していると言います。
三洋電機はグループで10万人を超える大企業でしたが、役員のほとんどがいなくなって経営統合となった裏には様々な苦悩と葛藤があったはずです。
しかし、三洋電機には開発した洗濯機が一般家庭に家電が普及する火付け役になったことや売り上げが好調だった過去などがあります。
そんな三洋電機で身に付けた技術力などを生かして、三洋電機がなくなった後に元社員の方々が別の会社で充実した時間を過ごせていることも分かりました。
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